山の学校ビオトープ倶楽部

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山の学校ビオトープ倶楽部




発足の経緯と倶楽部の概要

山の学校ビオトープ倶楽部は、平成13年4月に発足した子供たちの自然体験学習を推進する任意団体で、過疎高齢化が振興する作東町福山地区において、豊かな里山や里川の自然を生かして、地元の子供たちや都市の子供たちに生き物の棲む環境を探検しながら、ふるさとの自然体験させる活動を通じて、自然の大切さ、命の尊さを知ってもらうとともに、都市と農村の交流を進めている。

ビオトープ倶楽部では、これまで福山地区の自然環境や歴史・伝説民話を調査し、作東町の子供たちを対象に里山ハイキングや雑木林を活用した基地づくりなどの自然体験イベントを開催するとともに、野生生物に関心の高い子供たちに参加を、呼びかけて、オニヤンマの生息地調査、カワセミの生息地調査、四季を通じての植物調査、オシドリの調査、ヤマセミの調査、カケスの調査などを実施している。

また、本倶楽部では、作東町(現美作市)の自然環境や歴史・伝説民話を調査し、地区内での歴史自然解説板の設置や自然観察路づくりに協力したり、自然観察路を設けているほか、里山林の管理として、下草刈りなどの山林作業、休耕田に花を植える作業などのグラウンドワーク活動を行っている。また、平成16年度より、廃校周辺の荒廃農地を活用して、タガメ池、ルリボシトンボ池など里山ビオトープ公園づくりを進めている。

あわせて、近隣地域である那岐山(奈義町)、若杉原生林(西粟倉村)、芦津渓谷(鳥取県智頭町)において、登山道や遊歩道周辺の自然環境調査を実施し、自然観察型のトレッキングツアーなどを開催している。

このような活動を継続する中、生態系については、自然観察会の開催とあわせて、専門家の加わった野生生物調査を継続することで、地域(里山)生態系の把握と解明を進めていくことができた。

そして、福山地区にみられる野生生物(野草、樹木、昆虫、野鳥、小動物)や風物詩(紅葉や濃霧など自然現象ふくむ)、景観(懐かしい風景や巨樹、古い民家など)、歴史的資源(民話や昔話しを含む)などの環境資源について、季節ごと、地区ごとに活用計画を検討するとともに、里山・山里の自然や生活文化を資源とした山村振興について方向性を見出すことができた。

また、廃校(旧福山小学校)周辺にみられる溜池、小川、里山雑木林(落葉広葉樹林)、アカマツ雑木林、棚田、原野(休耕田)、社寺林(照葉樹林)、野原、水田、畑地、竹薮、植林地など里山・山里の環境を保全活用し(あるいは再生活用)、野生生物や風物詩、景観資源、歴史的遺産などの環境資源を活かした「山の学校・ふるさと里山公園構想」の実現に向けて、実践活動を展開することができた。

山の学校ビオトープ倶楽部

〒709-4254 岡山県美作市万善25  会長  香山昌男

電話番号:0868-75-7126、FAX:0868-75-1956

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さくとう山の学校施設紹介




作市福山地区では、平成14年度より、旧福山小学校跡地に農村体験施設「さくとう山の学校」を設け、環境学習や農村体験交流を進めている。

「山の学校」は、平成11年3月の旧福山小学校の廃校に伴い、児童生徒を対象とした体験学習、都市生活者との交流を目的に建設された体験教育施設である。

「山の学校」の建設によって、この福山地区全体を環境学習、「食と農」の学習の場として活用するため、地域住民により地域の環境を美しくしようという活動が行われている。

「さくとう山の学校」の位置する美作市(旧作東町)福山地区は、岡山県の東部に位置する静かな山村域で、里山の自然が多く残されている。

しかし、近年、地区内にあった小学校が学童数の減少により廃校になるなど、過疎高齢化が著しく、農地や山林の荒廃が進行しつつあり、生物多様性が低下する中、かつて見られたタガメやモリアオガエル、カスミサンショウウオなどの里山の水辺に棲む生き物の生息環境の悪化が懸念されている。

このような状況の中、福山地区では、子供たちや都市生活者に山村の自然を体験し、農村での生活文化を学んでもらおうと、自然体験交流宿泊施設「さくとう山の学校」を整備し、地区に広がる里地・里山の環境を生かした自然観察会や自然探検を行っており、自然体験学習や懐かしい農村の景観づくりによる山村振興を進めている。

本助成事業「廃校周辺でのタガメ・ビオトープ再生による生態系の保全」では、「里山ビオトープ公園づくり大会」および自然観察会(山の学校ビオトープ探検隊)を開催している。

山の学校ビオトープ倶楽部

2001年 4月29日 設立

〒709-4254 岡山県美作市万善25番地  山の学校事務局  

TEL 0868-75-7126 FAX 0868-75-1956
事務局長  大原義賢   所属機関  さくとう山の学校

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これまでの活動、調査研究の目的




美しく管理された里山・山里の風景を保全し、生物多様性の富んだ里山生態系の保護保全と希少な野生生物の棲む里山ビオトープ環境を維持するとともに、これら生態系(野草、樹木、昆虫、野鳥、小動物)や風物詩(紅葉や濃霧など自然現象を含む)、景観(懐かしい風景や巨樹、古い民家など)、歴史的資源(民話や昔話しを含む)などの環境資源を活かし、グリーンツーリズムや都市農村交流、「田舎暮らし」を促進することで、山村の活性化をはかることを目的としている。

調査研究の経過

山の学校ビオトープ倶楽部は、平成13年4月の発足以来、福山地区における溜池、小川、里山雑木林(落葉広葉樹林)、アカマツ雑木林、棚田、原野(休耕田)、社寺林(照葉樹林)、野原、水田、畑地、竹薮、植林地など、里山・山里の環境や景観を構成する植生や農地の分布状況について調査を行い、現状を把握してきた。

あわせて、地域内にみられる里山・山里の自然や生活文化を活かし、自然観察会やビオトープづくり、スケッチ会、クラフトづくりなどの自然体験イベントを開催してきた。自然観察会は、野生生物(野草、樹木、昆虫、野鳥、小動物)の生育生息状況や風物詩(紅葉や濃霧など自然現象)を活用し、季節ごと、あるいは毎月開催することで、自然観察メニュー化を行なった。これら自然体験イベントは地元小学校を中心に参加者を募り、恒例的に開催することで、地域の自然環境情報の集積・発信と、ネットワークづくりをはかってきた。昨年7月以降の開催状況は以下のとおりである。

7月19日(月曜) 夏に咲く草花の観察(ヤブカンゾウなど草花の観察)
8月18日(水曜) 谷川の生き物探検隊(オニヤンマと谷川の生き物観察)
9月25日(土曜) 秋の七草観察会(秋に咲く野草の観察)
10月9日(土曜) 山家川の水生生物観察会(川の自然観察)
11月23日(祝日) 秋の里山ハイキング(柿ヶ原池周辺での自然観察)とクラフトづくり
12月25日(土曜) 冬の渡り鳥観察会(ジョウビタキやツグミなど冬に飛来する野鳥の観察)
1月15日(土曜) 冬の里山・自然観察山歩き(カケスなど里山の生き物観察)
2月12日(土曜) 春の七草観察会(早春に咲く野草の観察)
3月26日(土曜) カスミサンショウウオ探検隊(カスミサンショウウオと春の自然観察)
4月30日(土曜) サシバ探検隊(サシバなど野鳥を観察しながら新緑の野山を歩く)
5月29日(日曜) 山の学校こども里山ビオトープ公園づくり大会

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調査研究の成果




生態系については、その把握において、専門知識や集中的な現地調査が必要であることが多いが、自然観察会の開催とあわせて、専門家の加わった野生生物調査を継続することで、地域(里山)生態系の把握と解明を進めていくことができた。

そして、福山地区にみられる野生生物(野草、樹木、昆虫、野鳥、小動物)や風物詩(紅葉や濃霧など自然現象ふくむ)、景観(懐かしい風景や巨樹、古い民家など)、歴史的資源(民話や昔話しを含む)などの環境資源について、季節ごと、地区ごとに活用計画を検討するとともに、里山・山里の自然や生活文化を資源とした山村振興について方向性を見出すことができた。

また、地域内の溜池、小川、里山雑木林(落葉広葉樹林)、アカマツ雑木林、棚田、原野(休耕田)、社寺林(照葉樹林)、野原、水田、畑地、竹薮、植林地など里山・山里の環境をなす林野空間を保全活用し(あるいは再生活用)、野生生物や風物詩、景観資源、歴史的遺産などの環境資源を活かした「福山地区まるごと里山公園構想」をおぼろげながら打ち出すことができた。

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今後の活動展開、今後の課題と問題点




地球温暖化防止の取り組みが求められる中、古き良き時代のライフスタイルや生活文化に学ぶべき内容は多く、里山・山里の自然や農村文化を活かした環境学習プログラムを作成することが必要となっている。

あわせて、来訪者の増加をはかるため、溜池、小川、里山雑木林、アカマツ林、棚田、原野(休耕田)、社寺林(照葉樹林)、野原、水田、畑地、竹薮、植林地など里山・山里のビオトープをなす林野空間を再生活用した公園(里山ビオトープ公園)整備計画づくりや、小河川の伝統的工法(石積み護岸など)による水辺ビオトープ再生計画づくり、桜や梅、李、桃、杏、柿、栗などの植栽による風景づくりが必要となっている。あわせて、山村では民家が空家となっていることから、これら空家や修復活用した計画づくりも検討する必要がある。

なお、里山・山里の環境は、人の生活や生産活動によって管理されてきており、人の手が加わらなくなると農地や山林(とくに植林地)は荒廃し、生物多様性が低下することから、住民参加による里山環境保全活用システムづくりも課題となっているが、過疎高齢化が進行する山村地域では、地域活動を推進するにも人材不足、人手不足となることから、都市農村交流・グリーンツーリズム・「田舎暮らし」を促進することで、農村の自然や歴史文化に関心の高い都市生活者に参加を求め、里山・山里の環境保全活動を展開することが必要となっている。

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福山地区の自然と文化、山の学校周辺




作東史によると、このあたりは、江見の庄のうちで山家五か村を称して、「山家の庄」といったという。その景観を今も残しているのが観音寺の樹林である。仏道の妙理に「念仏は至極大乗にして萬善の妙諦」という教えがあり、そこに真言宗の古刹があることから、萬善という地名を生じたと記されている。

この森の林相は、モミ、スギ、ヒノキによる針葉樹林で、いずれも樹齢200年から250年くらいとされている。標高270メートルの山頂にまとまった林相を形成して、寺院の境内としてもっともふさわしいものであり、針葉樹林としては、近郷で代表的なものとされている。  

また、近くには、萩森様と呼ばれる歯痛をなおす社がある。旧福山中学校の向かいに当たるところで、ヒノキの大木が十数本あり、その中に小さな祠があり、地区の子供は、歯が痛むと萩森様へ行けといわれ、よく参拝したとされている。

このあたりでよく観察できる生き物は、スズメ、ツバメ、トビ、カラス、メジロ、ヒヨドリ、モズなどの人里の野鳥のほか、カワセミ、ヤマセミ、フクロウ、アオゲラ、ウグイス、キツネ、タヌキ、イノシシ、シカ、テン、リス、ヒキガエル、シュレーゲルアオガエル、ギンヤンマ、ニシカワトンボ、ゲンジボタルなどである。 ここ「山の学校」から東南に眺められる山は、黒見山といい、この地域のシンボルとなっている山で、昔は、行者の修験場とされていた。



●黒見山の由来と観音寺の縁起


黒見山は、今から1,300年ほど昔、奈良時代前期、天智天皇の御代に役の小角という行者によって修行の場として開かれ、行者山と呼んでいました。

また、同じ頃に役の行者によって開かれた行場が、東粟倉の後山や、当時は美作の国に属していた三国の八塔寺山にもありました。

この三つの行場は「美作三行場」として全国に知られ、後々大勢の山伏たちが往来して修行しました。この美作三行場が開かれてから80年あまり後、奈良時代後期の聖武天皇の御代になって、行基菩薩という有名な高僧が勅命によって、全国の霊場を巡錫されることになりました。

途中、美作三行場の行者山を尋ねられましたが、この付近は当時、人家もなく行き先不案内でお困りになりました。その内萬善の横尾山にはいられましたが、道中のお疲れもあってひとやすみされることになりました。

そのとき、お山には紫の雲がたなびき観音様が夢枕にお立ちになりました。足元からは「仏法僧」という三宝鳥が飛び立ち、行く先遠くの深山に黒肉色燦然と光り輝くものが見えました。

これは不思議と行基菩薩がその黒光りを目指して山を馳せ登り近寄ってみると幾千年を経た真黒に光る古木があり、眼前には菩薩が尋ね求められた修験の行場が開かれていました。

歓喜された菩薩は、一刀三礼してこの霊木をもって十一面観世音菩薩の尊像を刻まれ、修法をされました。

下山された菩薩は、霊夢を感得された山麓の横尾山に自ら小堂を建立して安置し、寺号を観音寺と称し、行者山をこの寺の奥の院と定められました

また、行者山はこのご縁によって後、村人達が黒見山と呼ぶようになったということです。

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里川・山家川




農村の人里を流れる川は、河畔に農地が広がり、近くに集落が見られることから、古くから人の手によって管理され、利用されてきた温もりのある川であり、生活の知恵や文化がみられた。  

このような「人里を流れる川」は、畔が石積み護岸、あるいは、スロープ(緩斜面)であった。農家の人たちは、川で洗いものをしたり、水を汲むために、そして、農地に水を引くために、石を積んで、水の流れを変えていた。このことが結果的に川の流れに微妙な変化をもたせることになり、小さな瀬や淵、止水域(水だたえ)をつくることにもなっていた。  

また、ツルヨシやススキが育つ河原では、牛が遊ばされ、そこに生える草は、家畜の餌になっていた。スロープ上に生える夏草は、刈り取られ、家畜の餌や屋根材として利用されていたため、四季に変化のある風景をみせ、「人里を流れる川」の近くには、多くの種の草花が育っていた。

このように「人里を流れる川」では、人と川との生活の中での係わりによって、多様な環境が形成され、それに応じて多様な生物生息環境がみられた。ここ作東町福山地区でも、このような昔なつかしい「里川」の環境が年々失われおり、ドンコやカワムツなどの姿は見られるが、昔よく見られたギギやギンブナも少なくなり、アカザやオヤニラミの姿は最近見られなくなった。

魚のほか、水辺に棲む生き物としてカワセミやキセキレイ、セグロセキレイ、ヒキガエル、イモリ、ゲンジボタル、オニヤンマ、ギンヤンマ、ニシカワトンボなど多くの生き物を観察することができる。  

カワセミは、平地から山地の河川および湖沼などの水辺に生息するスズメよりやや大きい青い鳥で、コバルトブルーに輝くその姿は、川の宝石と呼ばれることもある。餌となる小魚が生息する水辺と、巣をつくるための土崖が生息の条件とされ、一時は河川の水質汚濁による小魚の減少など環境悪化とともに、その生息数が減少した。  

また、ここ福山でも、秋にたんさんの赤トンボが飛び回りますが、このあたりでみられる赤トンボは、ナツアカネ、アキアカネ、ネアカトンボなどで、夏近くになると、浅い池や田んぼの近くの水路で羽化し、真夏は、高い山にいて、秋になると人里の周りに舞い下りてくる。そのころは、体の色が真っ赤になっている。

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高原池とその周辺




この池は、農業用のため池ですが、水辺に樹林が広がっているため、多くの野鳥を観察することができる。中でも多いのがサギの仲間で、対岸の林には、アオサギやコサギが集団で営巣するコロニーが見られる。 アオサギやコサギのほか、水辺の野鳥としてカワセミやセグロセキレイ、キセキレイを姿が見られ、たまにヤマセミが飛来することもある。

ヤマセミは、清流の指標とされる野鳥で、カワセミと同じように、土崖に丸い穴を掘って巣をつくる。また、水面に枝を張る木に止まり、水中の魚めがけて急降下して魚を捕まえて食べますが、近年その姿を見かけることは少なくなった。

これら水辺の野鳥のほか、ここ福山では、スズメ、ツバメ、コシアカツバメのような人家近くに棲む野鳥、カラス、トビ、メジロ、モズ、ヒヨドリ、エナガ、コゲラ、ホオジロ、サシバなどの人里に姿をあらわせる野鳥、ウグイス、ホトトギス、シジュウカラ、ヤマガラ、カケス、キジバトなどな山に棲む野鳥が観察できる。 ホトトギスには、托卵(たくらん)という習性があり、ウグイスなどの巣に卵を産みつけ、自分の雛(ひな)を他の鳥に育てさせる。他の卵より早く孵化したホトトギスの雛は、卵を背中で巣から外に押し出す。

また、この付近でも夜に猛禽(もうきん)類のフクロウの鳴き声がよく聞かれるが、フクロウは古い大きな木の洞(ほら)によく巣をつくる。



●百田の昔話し


高原部落の北500m、町道川北〜田淵線に添った地点一帯が「百田」と呼ばれるところである。現在は、耕地改良がされて当時をしのぶ面影はないが、昔は、文字通り百枚の田があったそうである。

あるとき、総出で田植えを終えた村人達が田をかぞえ、どうしても1枚足りない。何度かぞえても九十九枚しかない、と騒いでいたところ、一人が「ここに一枚あった」と示した場所は、何のことはない皆が着物を脱いでいたところで、そこには、笠の下に一枚の田があったということである。

この百田を高原の久三(きゅうざ)という力持ちの男が一日で耕したということである。



●日半堀の池


昔、高原に久三(きゅうざ)というたいへんな力持ちの男がいた。ある年、この辺り一帯が、ひでりで雨が降らず、田も畑も水が枯れて皆が大変困った。これから先もこのようなことがあると、作物はとれず生活ができない。

皆が相談していると、久三は「池を掘って水を溜めておくとよい」と谷の奥に池を掘りに出かけた。

久三は、半日程で池を掘り上げた。これで、この辺りでは日照りで困ることがなくなった。この池は、「久三の日半掘りの池」といわれている。現在では、2つ程の池が、わずかながら、当時の面影をとどめている。



●塞の神とワラジ


高原部落の入り口に、小さな祠がある。道祖神であり、別名を「塞の神」という。道祖神は中国古来の道路の神様である。

また、塞の神という名前でわかるように、村外れの峠とか分道の分岐点などに建てられ、悪者や疫病が村に入りこむのを塞ぐ意味がある。

どちらにしても、道を司り、不幸を村に入れないという神様である。さらに、旅人の安全を守るという神でもある。それらのことから、足の神様としても村人からあがめられている。部落では毎年1月、ワラジを作って、塞の神様に奉納している。

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天神社のモミ




年月をへた巨樹の風景は、無意識のうちにも地域の歴史や気候風土を感じさせる。それが天に向かい真っ直ぐ育つ針葉樹の大木となれば、なおさらである。  

樹齢250年といわれる天神社のモミは、里山の環境が広がる農村域の中にあって、地区の歴史的な雰囲気をいっそう高めている。  本州に育つ樹林は、冷温帯林であるブナ林帯と暖温帯林である照葉樹林帯に分かれ、東北や信州などの寒冷地は落葉広葉樹が育ち、中国地方や近畿などの西日本の農村では、樹林は放っておくとシイやカシの茂る照葉樹林に変わっていくといわれている。

モミは、冷温帯林と暖温帯林の中間に育つ樹木とされ、福山地区の気候は、岡山県にあって比較的寒冷であることを物語っている。モミのような針葉樹では、たまにワシやタカなど猛禽類の巣を見つけることがあるが、福山地区ではトビやサシバの姿を見ることがある。  

また、モミは、古来 標識木・境界木としても利用されているが、木樹はその所在する位置から、天神社の所在を示すと同時に、旧往来の傍らにあり、従来の標識木として尊重されて来たものと思われる。現在は、その巨大で壮厳な姿により、神木としても崇められている。  

天神社の横に、宗閑様という社がある。腰痛を治すという理由で、参拝者が多く、旧暦12月31日の一番多忙な日に参ると、おかげが一番多いということである。地区として今でも当日はそばの接待をして参拝者をねぎらっている。



●万善かぶらの由来


むかし、むかし、万善に“おかね”というおばあさんが住んでいました。おばあさんは、夫に早く死に別れたので、毎日夜明けと共に家を出て働き、日暮れと共に帰ってきました。ある年の春の夜、疲れて帰ってたおばあさんは、すっかり眠りにおちてから不思議な夢を見ました。

畑のかぶらの花が真黄色に咲き揃った中で、ひときわずば抜けて大きな花を咲かせているのが見えました。その大きい花はやがて実をつけましたが、にわか雨で種が飛び、畑じゅうに散りました。まもなく芽を出したかぶらは、みるみるうちにすくすくと大きくなり、首のあたりは赤味をおびて朝日に輝いていました。

やがて、田植え頃になり、かぶらの“たね”をとる時期になりました。

おばあさんは、たね畑に行って夢に見たようなずばぬけて大きい一本のかぶらから“たね”を取り、だいじにしまっておきました。そして、夏も終わりのころその“たね”を畑にまき丹精をこめて世話をしました。

なんと、その年のかぶらは、首のところから赤味をおびて、根は細長く、肉質はかたくて、食べてみると葉も根も独特の風味があり、歯切れがよくて、今までのかぶらよりずっとおいしいものでした。

おばあさんは、こんなおいしいかぶらを一人じめにするのはもったいないなと思い、庄屋さんのところへ相談に行きました。おばあさんの心根に感心した
庄屋さんは、早速殿様に献上しました。

この話を聞いた殿様はたいそう喜ばれ、このかぶらを「おかねかぶら」と名付けて、おばあさんにたくさんのごほうびを与えました。

話を聞いて、村の人達がおばあさんのところに、“たね”を分けてもらいにくるようになりましたが、おばあさんは、誰にでも気持ちよく分けてやりました。

ところが不思議なことに、この“たね”を蒔いて作ったかぶらは、とてもおいしいのですが、また次の年の“たね”も万善の畑で採った“たね”でないとおいしいかぶらができませんでした。そこで村の人達は、このかぶらを「まんぜんかぶら」と呼んで毎年おばあさんに“たね”を分けてもらって、おいしいかぶらを作って食べました。

やがて、おばあさんはつつましい一生を終えましたが、その“たね”は子孫に伝えられ、今では「万善かぶら」としてその名が日本全国へ広まったということです。

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黒見山とアカマツ林




黒見山の尾根部には、美しいアカマツ林がみられる。その昔、アカマツの美しい林が岡山県内に広くみられ、マツタケも多く採れていました。しかし、今では、マツクイ虫で、アカマツ林の多くは壊滅状態のようである。大気汚染や酸性雨のせいかも知れない。

黒見山に広がる林は、アカマツにコナラやホウノキ、ヤマザクラの高木が混じる雑木林です。昔のような美しいアカマツ林がみられる場所は、県内でも少なくなった。  山頂付近でもコナラなどの背の高い落葉広葉樹が多くみられる。黒見山の林は、自然まかせ放っておくと、アカマツにかわってコナラやアベマキが育つ広葉樹の林に変わっていくことも考えられる。  

アカマツ林は、乾燥し痩せた尾根部に多くみられるといわれており、コバノミツバツツジをはじめ、ネズミサシ、リョウブ、ソヨゴ、アセビ、ナツハゼ、コシアブラ、アカノツメ、ウラジロノキ、シュンランなどの木や草が多く見られる。一方、谷部には落葉樹の林が多くみられ、4月にはタムシバという木がコブシに似た白い花を多く咲かせる。 とくに、この付近ではツツジが多く見られる。ここで多く見られるツツジは、コバノミツバツツジといって、新緑のころに赤紫色の花を咲かせる。  

アカマツ雑木林では、初夏にハルゼミ、夏にチッチゼミが鳴く。ハルゼミが鳴くころ、ヤマツツジやモチツツジも美しい花で里山に初夏の到来を知らせる。そのころになると、ウグイスやホトトギス、キジの鳴きの声の野山にこだましている。



●黒見山の笠地蔵さんの由来


今から180年も昔のことです。山峨村の万善に庄屋の小左衛門という人がいました。小左衛門さんは大変信仰心の厚い人でしたから、お寺の和尚さんが奥の院の行者堂へ登るときはいつもおともをしていました。

毎日、毎日、日照りの続いたある年のこと、小左衛門さんは村のお百姓さんの願いをきいて、和尚さんに雨乞いのご祈祷をしてもらうことにしました。

黒見山に登った和尚さんが三日三晩お経をお唱えしたところ、お山の小池から龍が昇り、にわかに大粒の雨が降り出しました。よろこんだ小左衛門さんは、急いで山をおり村人たちに知らせて、お祝いの酒盛りをしました。

酒宴も終わりの頃になって、ふと自分が42才の厄除け祈願のために建立してご利益をいただいているお地蔵さんが雨にうたれていることを思い出しました。

急いで黒見山に登った小左衛門さんは、お地蔵さんに笠をかけてねんごろにお詫びを言いました。

それからというものは、お山に登るたびに新しい笠をかけてあげることを忘れず、おかげで幸せな一生をおくりました。

このお地蔵さんのことを今でも笠地蔵さんと呼び厄除けに新しいお地蔵さんを建立して長寿をお祈りする人もいます。

また、この小左衛門さんのお墓は、黒見山の麓の深田池の堤防の近くにあり、子孫が丁重におまつりしています。



●行者山の涌き清水


今から1,300年もむかしむかし、役の行者が行者山(後に黒見山と呼ぶようになった)に、篭って修業されていた頃のお話です。

この年は、いつになく日照りが続き、標高441メートルのお山の頂上には、どこをさがしても飲み水は一滴もありません。

さしもの行者も渇きにたえず、「後の世にここへ登る人々もさぞかし苦しむことであろう。」と、心静かに般若心経を唱え、持っていた錫杖(修業する人が持ち歩く杖)を大地へトントンとお突きになりました。

不思議やふしぎ、今まで渇ききったお山のお堂の前の窪地から、こんこんと清水が涌き出てきたのです。いまもなお、お山の上には冷たい水が湧き出して、どんな日照りの時も涸れたことがありません。

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柿ケ原池の雑木林




この池は、農地潅漑用の貯水ダムで、4Km以上離れた高原台地の農地(畑)へ水を引く計画で建設されている。 この柿ヶ原貯水池のように、雑木林に囲まれた水辺では、多くの野生生物が観察できる。今、ビオトープという言葉がもてはやされている。もとはドイツ語で、直訳すれば、「生き物の棲む空間」となるそうである。都会では「学校の庭にビオトープをつくろう」などといって、池をつくり草を生えさせ、昆虫や野鳥を観察できる空間をつくっているところもあるが、柿ヶ原池は、里山に残る良好なビオトープと呼べる。  

このあたり炭焼き窯の跡が多くあるのがわかる。ここの雑木林も里山といわれる二次林で、人が木を切った後、株から芽が出て林が再生した雑木林である。昔は20年に一度くらい木が切られ、炭焼きが行われていた。

今は農村の生活スタイルが変わり、人は昔ほど山に入らなくなり、木もどんどん大きくなっていき、林から森へと成長していく。そして、明るい里山の雑木林から、大きな木が育つ原生林のような森へと変わっていく。このことを森林遷移という。

ここより上流には民家は見られないことから、ヤマセミ、アオゲラ、カケスなどの野鳥や、シカ、イノシシ、テン、リスなどの哺乳動物にとって天国のような空間であろう。とくに、近年シカが多く見られるようになり、繁殖しているものと考えられる。シカは兵庫県と岡山県との県境付近に多く生息しているとされ、吉永町から備前市、日生町にかけてよく繁殖が確認されている。福山地区では、リスの姿を見かけることがあるが、リスもテンやムササビのように雑木林の木の上に棲んでいる。 テン、リス、ムササビは雑食性で、木の実も好んで食べるとされ、この林のようにドングリのなる木が多い場所が好きかも知れない。  

ドングリのなる木は、コナラやクヌギ、ミズナラ、アベマキ、カシワ、ナラガシワ、シイ、カシなどブナ科の樹木です。ここの雑木林では、コナラやアベマキ、アラカシのドングリがたくさんみつかる。  

また、ここの林は、カブトムシをはじめ、ミヤマクワガタ、ノコギリクワガタ、コクワガタ、ヒラクワガタなどが多く棲んでおり、6月〜7月くらい早起きしてここの林を歩いてみると、クワガタムシの姿をみることができ、多くの野鳥のさえずりが聞こえる。

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谷川と雑木林




雑木林の下を流れる谷川では、どんな生き物が観察できるのだろうか。 人の手が加わっていない自然の川岸は、草が茂り、木が根を張るなどしており、洪水の度に石や土砂が流されるなどして微妙に水辺の状況の変わることから、細かくみると、複雑な形状となっている。こういったや多様性のある環境がみられるのが、自然の川岸である。

雑木林には多くの野鳥や小動物、昆虫が棲み、その側を流れる谷川には、水生昆虫や魚の餌となる落ち葉、木から落ちた昆虫などが多く、それを求めてやってくるイタチやカワセミ、ヤマセミ、オニヤンマ、ムカシヤンマなど多様な生態系が見られる。  

オニヤンマの幼虫は、雑木林の側の川に多く棲み、5年間くらい水の中で過ごす。 こ河会川の源流となる谷川では、6月に多くゲンジボタルの発生を観察することができる。ゲンジボタルは、日本特産の種で成虫は体長12〜18mmぐらい、体色は黒色で鈍い光沢があり6月〜7月に出現し、清流近くの林地でみられる。幼虫は清らかな水の流れる環境に生息し、水生巻貝のカワニナを捕食して育つ。  

分布は本州、四国、九州で、県内でも山間の清流を中心に広く分布しているものの、近年、河川水の汚濁や護岸工事による生息域の消失が進み、生息域と個体数がともに減少した。また、ここ福山地区でも昔はオオサンショウウオの姿を見ることができたと聞く。

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薬水寺とアカマツ林




薬水寺は、目の病が治るといわれる古い寺で、木造経机、木造笈、赤松家位牌などが町の文化財に指定されている。また、裏の石段を登っていくと、水が澄んだ池があって、祠が祭られている。

寺の上にはアカマツの雑木林が広がり、5月にはセミの声を聞くことができる。このセミはハルゼミと呼ばれ、環境指標昆虫とされている。環境指標生物とは、その生き物が棲んでいることで、その場所がどんな環境なのかがわかる環境の物差しになる生き物のことである。  

ハルゼミが棲んでいるとうことは、近くにまとまった面積でアカマツ林があるということであるが、近年、このアカマツ林は急激に消滅している。ハルゼミは、アカマツの雑木林に棲み、初夏の訪れを告げる。5月の野山でセミが鳴いているのが聞こえたら、アカマツの雑木林があって、ハルゼミがいるんだなと思ってもかまいわない。春のアカマツ林は、コバノミツバツツジやヤマフジの花が咲き、とても気持ちがよく。そのころ、タカノツメやコシアブラの新芽が芽吹き、山にはキツツキやキジの鳴き声がこだます。アカマツ林は、乾燥し痩せた尾根部に多くみられるといわれており、コバノミツバツツジをはじめ、リョウブ、ネジキ、ナツハゼ、ヒサカキ、ソヨゴ、アセビ、コシアブラ、タカノツメ、シュンランなどの木や草が多く見られる。ここでは、これらの種に混じり、モチツツジ、ヤマツツジ、ヌルデ、カマツカなども見られ、四季の野山をいろどる。

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新池と雑木林




●新池と雑木林


池の周りの谷間に広がる雑木林は、コナラやアベマキ、クリなどの落葉広葉樹からなる林で、秋に紅葉する。また、尾根沿いに広がる雑木林はアカマツの林で、やや乾いた場所に広がっている。 里山に育つ落葉広葉樹の林は、季節によって景色が大きく変わり、イノシシ、ノウサギ、タヌキ、キツネ、テン、リス、シカなどの野生動物が多く棲んでいる。  

昔の子供は、よくこのような雑木林で、遊んでいて、カブトムシやクワガタムシ、カミキリムシ昆虫をつかまえたり、木の上に小屋を作ったりしていた。  

このあたりの雑木林に多く育つ背の高い木は、コナラといってドングリのなる木の一つです。この林では、コナラのほかにクリ、アカマツ、ホオノキ、ヤマザクラなどの大きな木もみられる。  

また、春の新緑には多くの野鳥がさえずるのが聞こえ、夏にはクワガタムシやカブトムシ、カミキリムシなどの多くの昆虫が観察できる。  

とくに、新池(溜め池)のような雑木林の中の水辺では、ヤマセミ、カワセミ、カイツブリ、マガモなどの野鳥をはじめ、ヒキガエル、イタチ、イモリなど多くの生き物を見ることができる。



●国貞の台地


このあたり小さな丘や台地からなる地形が広がる人里である。谷間にある集落の背後には、棚田と雑木林の風景が見られ、小動物や昆虫の多く棲む林縁の自然が残されている。

野生生物は、人里離れた奥山や水辺周辺だけに棲息の場を求めるだけでなく、人家近くにも多くの生き物を観察することができ、メジロ、モズ、ヒヨドリ、エナガ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ツバメ、カラスなどの野鳥のほか、タヌキやイタチ、モグラ、ヒミズなどの小動物をよく目にすることができ、イノシシやキツネも出没する。  

また、ここ(国貞字中尾)の山の尾先にそって、樹齢約200数十年の巨木が見られ、森の中には朝霧大明神の社がある。社の裏側には大きな五輪石の墓を囲んで、数多くの小さい五輪の墓もあるが、多分家来のものと思われる。また少し離れた場所に一つ家老といわれる小さい祠も祭っている。墓の主は元和元年(1615年)9月15日没の、朝霧威蘇守(いそのかみ)信高である。天正年間(戦国時代)、宇喜多直家と美作国勝南郡(今の美作町)三星城主・後藤元政が戦っていた時代であろうと思われる。ある夏の日のこと、威蘇守は夏田の用水を管理に行ったとき、不意討ちにあい、大木戸(国貞地内)にて没しました。その場所には今もなお朝霧様として祠が祭っている。  

毎年秋の大祭にはのぼりを揚げ、盛大に威蘇守を供養する。そのとき、子供たちの相撲が行事に花をそえている。また、威蘇守と戦った相手の延原弾正影光の墓も当地国貞地内にある。



●田圃のビオトープ


雑木林の育つ丘陵地の山裾には、棚田や水田脇を流れる草つきの水路がみられ、生態系の豊かさを感じさせる静かな農村風景が見られた。  

そこには、カスミサンショウウオやヒキガエル、ヤマアカガエル、シュレーゲルアオガエルなど多くの小動物や昆虫が棲んでいた。  

カスミサンショウウオは、里山に棲む小型のサンショウウオで、早春に雑木林の中の水溜まりや水路に卵を産みます。そのころ、山の水田には、ヤマアカガエルの卵が多く見られ、田圃の畦には土の中に白い泡のようなシュレーゲルアオガエルの卵もみられる。 水田は、降った雨水を溜め、ダムの役割を果たします。田圃は、耕さないで、放っておくと、水田雑草がはびこり、そしてヒメムカシヨモギやセイタカワワダチソウ、ススキなどの背の高い草で一面が覆われている。そのうちにノイバラやウツギなどの低木が侵入し薮のような原野になり、カヤネズミなどの住みかなどになっている。そうなると土地は荒廃し、人間にとって住みにくい環境が広がっている。  

また、農村に残る昔ながらの水田域は、小動物や野鳥、昆虫の生息の場(ビオトープ)としても重要で、昔は、このような環境にクサガメやタガメ、タイコウチ、ゲンゴロウが棲んでいて、田圃の近くを流れる小川にメダカの泳ぐ風景も見られた。  このような場所では、初夏になると、サシバという小型の鷹が飛来し、カエルやヘビなどの小動物を捕らえて食べることもあった。



●里川のビオトープ


どこか懐かしいと感じられる農村の風景の中には、多様性のある自然が存在し、そこには自然と共生する山地の農村特有の文化や生態系が見られる。  

集落周辺にみられる鎮守の杜や雑木林、竹林、農地はもちろん、民家の周りに見られる石垣、生け垣、庭木、水路、池などは、野鳥や小動物、昆虫にとって生息の場でもある。 中でも昔のままの姿で残る小河川は、水辺に棲む生き物にとって貴重な生息環境となっている。水辺に草や木の生える風景は、生態系の豊かさを感じさせ、水辺に育つ植物は、高さ30mにおよぶケヤキやエノキ、ヤナギの高木から、高さ数cmのヒメシダやミズタビラコまで多種で、多様な水辺環境をみせ、野鳥や魚、昆虫などの良好なビオトープをつくっている。 このあたりの川には、ゲンジボタルやカワセミなど、良好な水辺環境の存在を示す指標生物がよく観察できます。福山でみられる主なホタルは、ゲンジボタルとヘイケボタルで、ゲンジボタルの幼虫は、流れのある川に棲み、水の底に棲むカワニナという巻き貝を餌とする。ゲンジボタルの棲む川は、水辺に草が生え、それと連続するように、水田やワンドなどの浅い湿地が必要とされている。



●柿ケ原の文化財


山裾の夏草がきれいに刈払われた里山林縁部には、農村ならでは里の自然が見られ、スズメ、カラス、ヒヨドリ、モズ、シジュウカラ、メジロ、エナガなどの野鳥の姿を観察することができ、夏にアブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシの声を聞くことできる。 このあたりには、町の文化財に指定された樹齢推定250年のクリ(久保のクリ)と推定樹齢200年のカゴノキの古木が生育している。 クリは、根回り3.0m、目通り3.15m、樹高約9mの老樹で、年代由来は定かでないが、その大きさは作東随一とされている。カゴノキは一株ですが、根元で二股に分かれ、二幹が生育しています。付近にはアラカシ、クリ、サカキなどが自生し、遠望は一つの小樹林を形成しているように見える。  

また、ここ柿ヶ原地区では、獅子舞が継承されている。柿ヶ原の獅子舞は、八幡神社の祭典当日に奉納される伝統芸能で、寛政の頃神楽の舞として舞っていたしきたりのままに、上・下組それぞれ獅子を出し、宮の前で出会って舞う、勇壮華麗な舞いが受け継がれている。明治のはじめ、播州新宮の流れを継ぐ舞いを修得し、現在では六種類(八節)の舞になっている。毎年秋の大祭当日、上・下各当人宅から獅子行列で神前に向かい、落ち合った鬼、鼻高など脇役の仲立も加わって、あたかも再会を楽しむごとき振りの舞からはじまる。



●山の学校の裏側


田圃の周りに広がる雑木林は、コナラやクリ、アベマキからなる落葉樹林で、秋になると木々が紅葉して葉を落とす。このような林は、昔人が炭や肥料にするために人が木を切っていたところで、里山と呼ばれる。 桃太郎の昔話しで、「おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に」ってところがあるけど、ここでいう柴とは、コナラやクリ、クヌギ、カシワ、ナラガシワなど雑木と呼ばれた木のことである。 里山にみられる雑木林は、スギやヒノキの植林と違って明るく、背の高い木や背の低い木が育ち、タカノツメやコシアブラ、ホオノキなどいろんな形の葉の木が見られる。また、アオハダとかウラジロノキ、ネジキなど幹や葉などの特徴で名前がつけられた木も多く育っている。  

雑木林は、たくさんの種類の木が育ち、いろんな小動物が棲むことで、森の生態系がつくられ、多様性をもっているため、日照りや冷夏などの環境の変化に対応でき、林から森へと自然の成長を続けることができる。また、谷筋に見られる水田や池、水路は、ヒキガエルやカスミサンショウウオ、イモリ、タガメ、タイコウチ、クサガメ、メダカ、ホタル、トンボ類などにとって大切な水辺で、多くの生き物を観察することができる。草むらにはマムシやヤマカガシなどの毒蛇も潜んでいることがある。



●太歳の森


鎮守の杜や社寺林は古くから地域に残る林で、地域の植生を知る上で重要な環境であるばかりか、巨樹、老木が残る鎮守の杜には、フクロウやムササビをはじめ野生生物にとってオアシスのような生息空間となっていることが多くある。  

このあたりは、古生層からなる台地で、昔は江見の庄国貞村菅田と呼ばれていた。南北に貫く断層谷の東、町道の上の古代的片影を残す台地の丘に、ツバキの茂った一叢の小樹林がある。この中に鎮守の若宮があり、周辺に文化年号の刻まれた坂部氏一族の墓所があることから推して、台地の一部だけが開発をまぬがれ、往時の姿をとどめているのであろうか。ツバキの大きいものは根回り1m、大小数十株が叢生していて天然樹林を形成し、その中に多くのアオキを混じ、ヤブツバキのほかにカゴノキ、ヒイラギ、ヒサカキ、アラカシなど育っている。樹林域は東西16m、南北15m、樹高10mばかりである。中でもカゴノキは、この地に自然林(極相)として自生する樹木で、地域の自然を特徴づける重要な樹木である。  

カゴノキは、クスノキ科の常緑高木で、暖帯に生えるが陰地を好む樹木で、相皮が円形に脱落して鹿の子模様になるため、「鹿子の木」の名を生じた。樹冠は円形に発達する常緑広葉樹で、9月頃小さい黄色の花をつけ、翌年の夏に赤い実ができる。カゴノキは柿ケ原にも自生しており、文化財に指定されている。

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